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シリーズ 日本再建 44

3月14日、沖縄出身の保守言論人・惠隆之介氏をお招きし、
私たちが知らない沖縄の実態と日本に迫りくる危機について
講演会を開催いたしました。
3回にわたり掲載いたします。


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拓殖大学日本文化研究所客員教授

惠隆之介氏に聞く

このままでは沖縄が中国にのみ込まれる②

沖縄県で行われている
「歴史改竄(かいざん)」


 今、中国が沖縄県の取り込み工作をしています。
その一端が歴史の改竄です。
 例えば、明治時代に沖縄近代化の端緒を開いた
奈良原繁という方がいます。
沖縄第8代県知事として16年間在任し、
明治41年には沖縄振興の最高功労者として、
沖縄県民の浄財で那覇の奥武山に銅像が
建立された方です。

 奈良原繁は、1862年の生麦事件で、
薩摩藩藩主・島津久光の行列を横切った
イギリス人商人・リチャードソンに最初の一撃を
あびせた人物と言われています。
明治政府は沖縄近代化に腐心しましたが、
頑迷湖陋(がんめいころう)な県民性と中国帰化人子孫たちの
ありとあらゆる妨害に悩まされていました。
そこで明治政府はピンチヒッターとして奈良原繁を
沖縄に派遣したのです。
そこで一挙に沖縄の近代化が進展していきました。

 戦前の資料を見ると、非常に教育に熱心な方で、
沖縄の農学校の学生たちが学資を稼ぐために
校庭の菜園でできた野菜を行商していたところ、
それを全部買い上げ、「学問に励め」と
金一封を与えた実話が残っています。

 また、琉球王国はかつて原子共産主義体制で、
土地の私有性を認めず、集団農場体制でした。
しかも、琉球王により耕作地を一定年限ごとに
移動させられたため、生産性が非常に混迷していました。
そのため、奈良原繁は、土地の私有性を開始したのです。

 しかし、こうした業績に関する歴史が改竄され、
現在の沖縄では、奈良原知事は、沖縄県民を
差別・弾圧した最大悪党だとされています。
また、かつては、沖縄平民は農奴と化していたため、
標準語を解せず、文字の読み書きもできず、
県議会の開催は内地に比べて50年ほど遅れていました。

 明治政府は苦心惨憺(くしんさんたん)して
沖縄近代化に取り組むわけですが、これもいつのまにか、
「琉球王国が内地に滅ぼされた」という理論にすり替わっているのです。


明治天皇の救恤金(きゅうじゅつきん)に感激し
石碑を立てた沖縄県民


 明治34年、沖縄県に飢饉が押し寄せたとき、
明治天皇がそれを聞かれて心を痛められ、
救恤金(被災者や貧困者などを援助するために寄付金)
を下賜(かし)されました。
また同時に北条侍従を派遣し、県内をくまなく視察させ、
涵養林(かんようりん)としての樟(くすのき)の植林を
本島中部一体に推進されたのです。
 
 疲弊していた農民たちは、「琉球王は搾取一辺倒だったけれど、
明治の御代になると沖縄の民にまで心を痛めてくれるのか」
と感泣し、百姓たちの発意によって石碑が建立されたのです。

 戦後、米国は沖縄の文化財を管理する将校をわざわざ
割り当てて、遺跡を丁重に保存しました。
幸いこの石碑は戦災や左翼による破壊活動を免れ、
基地内旧集落跡に保存されております。


今、沖縄で進んでいる
マインドコントロールとは
――――裏で操る中国の影


 しかし今の沖縄では、メディアや左翼勢力が「琉球王国」を
華美に表現し、沖縄県民をマインドコントロールしています。

 昨年、県知事に当選した翁長氏は、那覇市長時代に、
中国の臣下であることを象徴する「龍柱」を
2億6000万円かけて造ることを決め、中国に発注しました。
この「龍柱」はフェリーの船着き場埠頭付近にできます。
フェリーの船着き場には、約4万トンの大型フェリーが接岸できます。
ここに、一対の「龍柱」を設置することは、まるで、
中国を手招きするシグナルを送るようなものです。

 このエリアは琉球王国時代に中国の帰化人たちが住んでいた
租界です。翁長知事はそれを復元し、
ここに中国領事館も持ってくる予定を立て、
さらには孔子廟も復活させました。

 我が国の政府は1972年に沖縄返還を達成し、
施政権をアメリカから取り戻したにもかかわらず、
県民教育を怠った結果、中国による洗脳を受け続け、
こうした事態に陥っております。
その好例として、那覇市は、孔子廟復活にあたり、
公費16億円もかけて土地を造成し、
中国帰化人子孫に提供しているのです。

 また、沖縄が基地問題で騒ぐと、日本政府は
すぐ金で解決しようと補助金をばらまくものですから、
沖縄県民が思考停止状態に陥ってしまうのです。
                  (以下次号)


めぐみ・りゅうのすけ 

沖縄コザ市出身。
1978年、防衛大学校管理学専攻コースを卒業し、
海上自衛隊に入隊、海上自衛隊幹部候補生学校、
世界一周遠洋航海を経て護衛艦隊勤務。
1982年に2等海尉で退官し、琉球銀行勤務へ勤務。
海上自衛隊勤務の経験を生かした活動を展開しているほか、
拓殖大学日本文化研究教授を務めている。
2012年から2013年には、八重山日報論説委員会を務めた。
シンクタンク「沖縄と尖閣を守る会」代表。
作家、ジャーナリストなど、精力的な活動を続けている。


幸福実現党News より抜粋

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Comment

こんにちは
はじめまして!あるブログを拝見していたら、このブログに出会いました。私もブログを開設しています。「鬼藤千春の小説・短歌」で検索できます。一度訪問してみて下さい。よろしくお願い致します。
鬼藤千春の小説・短歌 様 
訪問していただきありがとうございます。
お母様はとても素晴らしい方ですね。
何と言われようが、相手への愛情はゆるぎない。
しっかり与える愛を実践していらっしゃる、素晴らしい方ですね。
見習いたいです。(*^_^*)
2015.08.23 10:33 | URL | kororo #- [edit]

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